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Exhibitions

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2023年「粒たつ光」concept store see?(神戸)

夏に山へ行き、風景を写真に収めました。美しい山やおそろしいところ、だだっぴろい湖畔や大きなシダの滴る森が私を迎えてくれました。

秋になって、景色のディティールが綻んでだんだんと印象的な記憶へ変わるころ、この写真たちから作品をつくろうと思いました。

 

記憶の曖昧さはとても移ろいやすいものですが、それは陶芸にも当てはまると言えます。陶芸の制作は、作品を変化させる機会をたくさん抱えています。水分を含んだ陶土が乾燥するとき、作品を焼成するとき、釉薬が熱によって変質するとき…。あらゆる過程を経て、残りうるものだけがただ残っていきます。

 

この陶土をつかった平面作品は、その制作過程で罅が入ってしまったり、絵画の主要な部分が剥がれ落ちてしまうことが多々あります。風景を収めることや、その肝心な部分が抜け落ちてしまうこと、それでも忘れなかったものを保存し続けることを、陶芸の視点から見つめることができます。

 

いずれすべて崩落して、粒のようになってしまうものに光をあてています。

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2022年「土を泳ぐ」Gallery TOWED(東京)

東京でおこなったグループです。名古屋での個展と同じ内容の作品を東京でも展示しました。
ギャラリーの綱田さんが書いてくださった文章がとても良いので、そのまま引用させていただきます。

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絵画を鑑賞するとき、しばしば我々はそこに「空気感」や「奥行き」「温度」や「動き」のようなものを感受します。しかしその表現の媒介となる素材(=絵の具など)は、決してそれ自身に視覚的印象と同一の奥行きや温度を有しているわけではありません。
大まかに近世までの絵画とは、その本来的な素材性を隠匿しながら絵の具というものにそれと異なる物質性、あるいは空気のような非物質性を憑依させる視覚観念の錬金術だったと言えるかもしれません。

20世紀に入ってジャクソン・ポロックのような画家は、そうした歴史を踏まえた上で「絵の具が何ものにも憑依せず絵の具のまま定着している絵画」というものを発明しました。異なる物質・あるいは非物質に憑依するという絵の具のイリュージョンを徹底的に排し「絵の具がパネル上に撒かれている」状況それ自体をテーマとし提示する「現実と地続きの絵画」は、現実と独立した擬似的な絵画世界への没入という既成の視覚表現のあり方を相対化し、近代芸術の未開拓領域を可視化しました。
一方でそうした発明のカウンターとして、再び「何が描かれているのか」という主題性によって作品を成り立たせるポップアートのような潮流もあり、その相互の揺り戻しによって今日の造形芸術は発展してきたと言えます。

そうした世界観に立った上で、今回取り上げる3人の作家をこの芸術の物質性をめぐる巨大な営みの中にマッピングしたとき、先述した両軸の揺り戻しの狭間の地帯が見えてくるように思います。
ミニマルな色彩の諧調と無作為的なダメージによって非物質的な感覚を限界まで削ぎ落としつつ、ギリギリのところに具象性を踏みとどまらせる時山桜。
陶という人類史上最も普遍的な造形素材を軸に既製品を模造し、あるいは「陶性の絵画によって陶磁器を描画する」という、素材の意味を何重にも問う試みを展開する𡧃野湧。

装飾性を排した独自のスタイルによって、まるで自然界に存在する石や土に接近する風合いの器を制作する稲吉善光。
3人の仕事を取り上げることを通じて、素材と表現をめぐる思考の汽水域で広がりを見せる豊潤で多様な創造の地平を示すとともに、そこで展開されている表現の最新の動向を見たいと思います。
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GALLERY TOWED 綱田康平さんより

2022年個展「われてもすえに・その後1」LAD GALLERY(名古屋)

2022年6月におこなった個展での、京都‐愛知間の搬入の様子を荷物の視点から収めています。
運転免許取得後の運転は2回目、自分の作品を搬入するのは此度が初めてでした。 ワレモノをある地点から移動させること、リスク管理、作品が変容する可能性を記録するアーカイブとして発表しました。   

私の作品はまあまあ繊細なので、他のかたに運送をお願いすることがとても難しいです。脆いもの、壊れやすいものを輸送する必要があるけれども、できる限りそれらの状態をわるくしないようにして、みなさんにお見せしたいです。

ものを遺すってどういうことなんだろう、もっと考えたいです。

2022年「セラミックマウンテン」kumagusuku(京都)

展覧会「セラミックマウンテン」を企画し、展示に参加しました。
本展では、京都で活躍する作家の陶芸作品を本会場に呼び集め、作品とその箱をディスプレイしつつ、展示、販売しました。
 
作品の保管や輸送の観点からみて、箱をつくることは作品にとって大切な要素です。陶芸作品の場合は、われものであることや耐衝撃性を考慮したうえで、適切な材料を用いて箱を作ります。
 
本展では、箱を作品の保管や輸送といった目的に加え、展示台としてディスプレイしました。作品と抱き合わせてご鑑賞いただくことで、保管や防護のために作品に側面的な部分も垣間見え、個性がより際立ったことでしょう。

2022年「われてもすえに」京都市立芸術大学修了制作

陶磁土のようなセラミック素材は、高温で焼結させると何百年あるいは何千年も同じ状態を保つことができます。文化や美術において、ものの保存状態を維持し続けることは、歴史の足跡をたどるために必要な条件ですが、あえて破損や経年変化が発生しやすい状況を生み出し、作品を遺し伝えていくことを困難にする作品「われてもすえに」を制作しました。

陶磁土素材のワレモノと人間との関わり方を再考するきっかけとなる作品を展示することで、ものの存在やものへの触れかた、ものの遺し方について新たな視座を設け、文化や美術といった歴史に対するひとつの提案を行いました。

「われものの唄」
2022年
3分0秒

作詞:宇野湧
作曲:めい

皿を割ったことがあるかい
だれかの大切なお皿を
引き出物のグラスなんざいらねェ!と叩きつけたり
そういう日もあるさ
ものに当たっちまう日があってもいいヨ
職人さんの骨太な腕
うつわ屋さんのかたぶく屋根

レコードが削れてく
まだ聞こえているかい
このレコードとぼくたち
声が枯れるのどちらが先か


われもの触る赤子を抱くように
ぼく達ゃ壊してしまうしすぐ捨てるけど
憶えてる忘れないように
憶えてる忘れないように

かなしいうわさを聞きつけ
どこからともなくやってくる
沈んでしまった生活を抱きかかえるように
滑ってしまった
指先でかがり縫いを
とりあえず座ろう
明かりを灯そう

2021年個展「欠け端のセラミクス」Alternative space yuge(京都)

この初個展では、植木鉢からセラミックまで幅広く存在する陶磁土製の道具や商品がもたらしてきた用途性や、陶磁土という素材がもつ鑑賞性にまつわる作品を発表しました。

本展示では、セラミックスを陶磁器や窯業製品といった意味よりももっと広義なもの―陶磁土等を素材とした焼結物或いは非焼結物、若しくは単に破損する可能性のあるワレモノととらえ、生活の中に遍在する道具に落とし込みました。

器やオブジェといった陶芸史やアートマーケットの枠組みからゆるやかに撤退するためのひとつの手がかりとして、こうした鑑賞と実用の合間を縫うような表現があってもいいのかなと、人と話していておもいました。

捨て鉢について
8分36秒
2021年

とりくみを諦めることを、捨て鉢にする、という
鉢は捨てられたあとどこへいくのか
器は取り止めや失敗を一身に担い、落ちたときや壊れるときの音でその振舞いをあらわしてくれる
私が捨てた鉢は タブローに絵を描くこと
「カンヴァスに油彩」のようなタブローは 私にはつくれない
そのかわりに 壊れやすいものを触るとき 指を柔らかくすることができる 壊してしまったものや選ばなかったことを
わたしたちは憶えておくことができる
忘れないように

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